わたしは泣き始める。裸で。つめたい皮膚で。ふるえて。 end





09/4/4 早朝

今日、一緒に暮らしている彼が、わたしの実家に挨拶に来ます。 そう。ここでずっと書き連ねていた恋人とは違う、 下の日記の彼です。もうすぐ出逢って2年。初めてのクリスマスにあげた小さな桜の木が、 庭で2度目の花を咲かせました。ただいま満開。去年の倍は、花も増えたかしら。


挨拶に来るにあたって。
ここ最近不安定で、昨日には泣き喚いてしまった。 わたしと両親との確執。目に見えない、たぶん存在もしてない、 わたしだけが未だ持っている確執に気付いてしまったから。 笑い合えるようになった、好きだと言えるようになった今でも尚、幼少期から変わっていないこと。 彼に「自分の両親なのに、嫁と姑みたいだね」なんて言われてしまう。 仲はすごく良いし、わたしにとって父と母は本当のわたしの父と母だけれど、 でも、どこかで、違う。 誰よりも大切で誰よりも幸せになって欲しい人達。 彼らが望むものならなんでもあげたい。 だけどわたしは彼らから何も受け入れられない。 彼らの優しさが哀しいものに見えてしまうから。罪悪感から生まれる優しさ。 そしてわたしは強迫観念から逃れられない。"わたしはそんなことをして貰える娘ではない。" 子どもの頃と違って、両親はどんな希望も持ってないのに。 きみが幸せで居てくれたらどんなきみでも構わないんだと抱きしめてくれた父を思い出す。 震えていた。長い間辛い思いをさせてごめんと言われ、まったく同じようにわたしも思った。 もう誰も辛い思いをしなければ良いと思った。父も、母も、妹も私も。 そしてわたしは、4人の生活から逃げた。


そんなことも忘れ、たまに帰れば笑い合えた。 わたしがお土産を買って帰り、料理を振舞った。手ぶらで帰ることはあまりなかった。 そんなことしなくても良いとゆう両親に、 たまに帰るんだからそんなもんでしょ。と言っていた。実際にそうだと思う。 でもわたしは強迫観念からだった。それに気付いてしまった。


「たぶんあゆちゃんと俺は似てるんだよ。家庭環境も、両親に対する考えも。そっくり。」 顔を覆うわたしの頭を撫でながら彼は優しく言った。 出逢って暫く経った頃、彼の両親の話を聞いた。家族でない人に初めて話した、と言っていたことを思い出した。 そう、としか思わなかったのを覚えている。付き合うより前の話。


そして下の日記。
わたしたちはあまりにも似ていた。わたしたち自身も、わたしたちが居た場所も。そしてたぶん、求めていた場所も。
根本がここだとしたらあんまりだなあなんて。苦笑い。しかもその話を聞く前だったのに。 わたしたち、もう良い大人なのに。


そう、わたしもう、来月には22になる。びっくりするほど時間が経った。


今日は挨拶が終わったら、夕方から県外に出張で、明日は撮影。 実は独立もしました。名刺に代表、と書けるらしいのだけど。 たったひとりなのに代表も何も、と思ってしまうわたし。肩書きはカメラマン。日々精進。 映像の編集をやったり、デザインをやったりもしています。 毎日がとても忙しく、寝る暇もないくらいで、休みなんて夏までないけど、 それでもトンボ帰りで県外まで遊びに行ったり。 引きこもっていた分を取り戻したいのか、くらいのアグレッシブぶりです。笑。 昔2年くらい引きこもってたんだよね、なんて言ってももはや誰も信じないってゆう。


あの人、のわたしのひとり前の彼女が、先月結婚した。 あの人に、2次会行ったんだけど、昔の彼女の結婚ってゆうのはなんか微妙だよなーなんて笑い話を聞き、 その彼女には、ハネムーンで行くハワイの話を聞き、また式の写真できたら会おう!なんて話をし、 みんなで集まるときに3人が揃ってももはや誰も気を使わず、 良い意味でみんな時間が経ったなーと笑わずにはいられませんでした。

彼女の綺麗なネイルが羨ましくて、負けたくなくて、毎日必死で爪を磨き、手荒れを治すことに専念していた高校生のわたし。 あれからもう、5年も経ったそうです。










08/7/11 去年のお話(少し訂正/13日

丸1年ぶりです。生きてます。1年の間に色んなことがありました。
まだここを覗いてくれている方が居るようで、嬉しいです。
お元気ですか?1年の間に、知らないあなたにもきっと色んなことがあったのでしょうね。 わたしは元気です。


下の、丁度1年前の日記を読んで、 あああのとき、あのパスタをご馳走になっていたときは、 ここでこうやって過ごすようになる日々はまるで想像できなかったなあ、と思った。 あの日から始まって、何をするでもなく一緒に過ごす時間が増え、 それでもわたしはあの人のこともあの人との思い出も、あの人と一緒に居た頃の自分すらも切り離すことができずにいた。 その頃に書いた日記も、更新できないままわたしの実家のパソコンに眠ってる。

パスタを食べた日の翌日。 会社は休みなのにふたりで会って、海に行った。 会ったのは用事があったからなのだけど、今思うとなぜ海に行ったんだろう笑。 ふたり並んで歩いて、わたしは彼の背中を見ながら、わたしはこの人のことを人としてとても好きだけれど、 男の人としては好きにならないだろうなと思ったのだった。あの日確かに。 まったく違うことを考えて歩いている彼の背中と、そのことを頭の片隅に掠めながら同じくまったく違うことを考えていたわたし。 特に話すこともなく、ただぽつりぽつりとなんでもない取るに足らない話をしたことだけ覚えている。 辺りは真っ暗で、海は荒れていて、サンダルの中に砂が入って歩きづらくて、 どうしてこの人と海になんて来たのかしらと考えながら、 似ているな、と思ったのを覚えている。
わたしはこの人と一緒だ。この人はわたしと一緒なんだ。
彼は、誰かと一緒に居ても、手を伸ばせば触れられる距離に居ても、 決して簡単には届かない場所に居る人だった。 わたしたちは触れ合える距離に居たのに、まるで別々の場所に居るようだった。まるで別々の場所。 だけど、わたしたちは今こうやって触れ合っていられる。寄り添っていられる。笑い合える。 それはその別々の場所が、酷似していたからだと思う。 わたしたちはあまりにも似ていた。わたしたち自身も、わたしたちが居た場所も。そしてたぶん、求めていた場所も。

あれから1年が経った。

あの人とは相変わらず仲良し、とゆうか、もう家族のようになってしまった。とても陳腐な台詞だけれど。 近況報告はしあう。たまに店に行って、顔を合わせもする。 また時間が合えば飲みに行こうとゆう話もするけれど、 恋人ができたのを知っているあの人はそれ以上の誘いはしてこない。 今は。わたしからしないのも知ってる。今は。でもいつかきっとまたふたりでご飯を食べたり話したりするのだろうな。 どれくらい先になるかわからないけれど。何年も先かもしれないけれど。 わたしはきっと思い出す。17の頃あの人と初めてご飯を食べたこと。16の頃からの念願だったあの日。 拒食が酷い時期で、食べても殆ど吐いてしまっていた頃だった。 でも、"あの人と一緒に食べた食事”をだめにしてしまいたくなくて、必死に耐えた。 あの日話したこと。付き合う前の、たった1度のデート。わたしの人生が動き始めた日。

色んなこと。周りのことも、自分のことも含めて、時間が経ったんだなあと思う。
間違いなく、1年、2年、みんなの間に流れたんだ。

命救ってくれたあの人を、何があっても支えようと思っていたあの頃より、 わたしもあの人も倖せになっているであろうことは、少しだけ、皮肉だなあと思う。 だけどこれからどれだけ時間が経っても、わたしがどんなにおとなになっても、あの人と過ごした時間は絶対に忘れない。 わたしがどんな子でも、よい子でなくとも大事だと言って抱きしめてくれたあの日。 発作を起こして玄関で泣き叫んでいたわたしを抱きすくめてくれた、寒い冬の夜。 わたしはあの人の腕の中で小さくなって、嗚咽を必死に抑えていた。怒ってるんだと思ったから。 (わたしがこんなふうに泣いたから、また怒らせてしまったかもしれない。 どうしよう。病気なんかで泣き叫んで、止まらなくて、止められなくて、息もできなくなってるわたしに きっとまた呆れてるだろうな。おとなになれって言われるだろうな。いちいち傷つくなって言われるだろうな。 わたしはこの人から見たら、きっと途方もない子どもか駄々っ子でしかない。) 整わない呼吸の中、発作のピークを過ぎた思考能力でそんなことをとりとめもなく考えていた。 そしてやっと腕の力が緩んであの人の顔を見上げたとき。今でも忘れない。 ああ、わたしは本当にただの途方もない子どもだったんだって、思った。冷静に。 それ以上のことは、どう思ったとか、どう感じたかとか、うまく言葉にできないけど。 でもわたしはその言葉と、その表情に、救われた。救われたんだ。

あの日わたしは生きていこうと思った。やっと。やっと思えた。4年の地獄は終わった。 死に損ないだなんて、周りにも自分でも思うような生活はやめようと思った。 決して忘れない。



広い世界の小さな朝
確かなものに包まれた日々
こぼれる日差しに言葉は踊り
風が吹くよに抱きしめあえた
そんな居場所は遠い記憶
あたしはここで笑顔をためす
あなたのない乾いた歩道で

AJICO「すてきなあたしの夢」









07/7/10 昨夜のお話(殆どメモに近い

「今思えばどこがそんなに好きだったんだろうとかどうしてだろうとか思うけど。 そう思うようになった今でも、もし出くわしてしまったら好きだと思うだろうなーと思う。 あれは自分でなくてDNAから求めてるのかね。 そういう感覚の人が、絶対人にはひとり居るんだよ。 ひとり以上居るかどうかは、まだふたりめに出会ってないからわからないけど。 でも、そういう人と一緒に生きてく人は違うものだとも思う。 でも一緒に生きてく相手は、自分の生き方がどこかでがらりと変わってしまったら、 やっぱり多かれ少なかれ変わってしまうときが来る。 でも、DNAから求める人は、きっと変わらない。」

思わずスプーンとフォークを持つ手が止まった。 パスタをぼうと眺めながら、ああそうなのかもしれない、と思った。わかる、わかるなあ、て。


『その、DNAから求めるような人と出会ったのはいつ頃?』
「19か、はたちそこらのころ。」
『丁度今のわたしくらいのときですね。』
「そうだね。よく考えたら結構前だなー。」
『でも、わかる。たぶん何年経っても、好きだと思う、人。』
「居た?」
『居ました。随分前に。でも、生きていきたいと思う人は違った。』
「前の彼氏?」
『そう。でも視野が広くなって行って、生き方が変わっていくうちに、それすら変わってしまった。』
(わたしはそれを認めたくなかった。そこを一番、認めたくなかった。あの人が3年前から1番に怖がっていたこと。 決して今まできちんと口にはできなかったこと。してこなかったこと。)

「若いときは、なんで針の穴通して見たような視野の狭い恋愛してしまうのかね。」
『針の穴!笑。 わたし変わりたくなかったんです。今もまだ、できるなら。』
「だけど、変わりつつある。良い時期だよ。」
『今まで、その、前の彼氏としか仕事をしたことがなくて。ずっと護られていて。 だからこうやってひとりで働くのは、言ってみれば初めてです。がんばって来たつもりで居たけど、 社会的にはまともに働いたことすらないのかもしれない。』
「そんなことないと思うよ。バイトだろうと彼氏と働いてようが親と働いてようが、 しんどい思いしつつもしっかり働いてたんだから。それに社会人だってそんなにまともな社会でまともに働いてるわけじゃないよ笑。 半年経ったら色んなことが見えてくると思う。うちの会社の良いところも悪いところも。社会の良いところも悪いところも幾らか見えると思う。 半年くらい経ったら、またこの話してみる?まだ、変わりたくないと思い続けているか。」

なんだか美味しいパスタが伸びてしまいそうなくらい自分では心打たれるお話でした。ああ。変わりたくないわたしは まだまだ若いのだなと思う。変わりたくない。進みたくない。 ほんとうはまだ何も割り切れていない。だけど、がんばろうと思えた。目頭が熱くなるのがわかった。 がんばろう。がんばろう。半年は振り返らずに走ろう。









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わたしは泣き始める。裸で。つめたい皮膚で。ふるえて。
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あゆみ / 1987 春
片割れ / 1977 / 恋人、あなた

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